私の結婚〜離婚まで

    

【HOME】
  
私の結婚〜離婚まで
離婚への迷い
離婚後の生活設計
離婚相談のこと
離婚の方法
財産分与
慰謝料
養育費
子供のこと(親権・戸籍・面会権)
離婚と年金分割
公正証書の必要性



私の結婚〜離婚まで


元夫との出会い
2005年の夏、シングルマザー暦4年目を迎えました。
4年前は、小さな我が子を抱えているのにもかかわらず、将来の不安を抱く余裕もなく、早く今の生活から逃れたい!という思いでいっぱいでした
 
このごろは兄ちゃんに「何年付き合って結婚したん?」とか「どこへ遊びに行ったん?」と聞かれ、話をしてあげることがよくあるんです
そんな時、あ〜、いろんな事があったな〜って思い出すんですよ
 
・・・元夫と知り合ったのは20代になってすぐ。
よく行くショップの店員さんと仲良くなり、その飲み会に来ていたのが元夫との出会いです
彼は20代後半で、同級生としか付き合ったことがなかった私にはとても大人の人に思えました
人に甘えることが苦手な私ですが、なぜか彼にだけはわがままを言うことができ、また彼もそれを許してくれる人だったんです

今思えば、私にとって居心地のよい存在で、好きだったことは確かですが、それは私を好きでいてくれるから。という前提があったからなのかも・・・と言う気がします

付き合いだして3年が経ち、私達は結婚しました
1年後、出産するのですが、その頃から結婚生活の雲行きがあやしくなってきたのです・・・
  
一度目の借金発覚 
長男が生まれて半年ほど過ぎてから、消費者金融の督促状や取立ての電話がかかり始めます
その前後に、我が家の貯金は夫によってすべて引き出され、私のクレジットカードを財布から抜き取り、勝手に使用していたことも発覚しました
 
付き合っていた頃に買ってもらった貴金属はすべて知らない間に質屋に入れられ、残ったのは指にはめていた結婚指輪と婚約指輪だけに。

どうやって返済するのか聞いても、夫は「ほっとけ、オレが何とかする」と言うだけ。
家にいる私は一日に何度も取り立ての電話を取らなければならず、ストレスがたまり、夫にも冷たく当たるようになりました
私が知らいあいだにキャッシングされた私名義のカードは返済されずに放置され、延滞となり、強制解約されたというありさまです

結局、他にも消費者金融数社に数百万の借り入れがあることがわかり、私は自分の親にも言えず、姑は貧しかったので助けを得ることもできず、途方にくれました。

弁護士に相談するお金もなく、図書館で借金に関する本を読み、そこで調停により返済額を減らし和解するという方法を知ったのです
今は「任意整理」とか「特定調停」ということでよく利用されている制度のようですが、その頃はそんな専門的な言葉もまったく知らず、私は自力で調停を起こしたのです。

(ちなみに弁護士に頼むと借り入れ1社につき数万円かかるようですが、自分で調停を起こすと『印紙代・切手代』程度で済みました。ずいぶん前のことで記憶が定かではないのですが安かったのは確かです。。。)

地方裁判所に行き、手続きをしたときに「これで相手に調停の知らせが届くと相手は取り立て行為が出来なくなるし、調停が終わるまで返済は止まりますからね。」と教えてもらいました

これ、全部私が手続きしたんですよ!
夫はあれほど「ほっとけ」と言っていたのに実は切羽詰っていたようで、その後は私の言うなりでした。

私も「この人には任せておけない!」という思いが募り、ここで夫に依存してきた私と彼の立場が逆転したのでした
      
つかの間の幸せ  
調停には夫も出席し、「もっとしっかりしないと!」と調停委員に散々怒られていました
幸い調停はすべて1回目で話し合いがつき、「利息制限法」に基づいて再計算された為、元金は半分に減り、その後の利息はすべてカットになり、毎月の返済も10万円以上あったのが、30000円ほどに減りました
 
 私はこのころ夫に対して不信感で一杯だったので経済力を身につけて離婚したいと、心の片隅で思うようになっていました
 
夫は借金の発覚前後、仕事をやめていました
もっと給料のいいところに移って、バイトもして頑張るから。と言うのが理由でした

けれど、夫が就職活動をしたのは辞めてから3ヶ月もたってから。
家で毎日夜更かしをし、朝は遅くまでゴロゴロしているだけ。

私もその頃パートに出ていたのですが、保育園に送り迎えをしてくれるわけでもなく
バイトをするわけでもなく、せっかく返済が減っても私は金策に追われ大変でした

夫への不満は徐々に大きくなり、相手にもそれは伝わり始めていたようでした
夫のことが信用できず、頼れず、我が家の家計状況も私のカードもすべて隠し、夫婦間の信頼関係はまったくと言っていいほど崩れてしまっていたのです

そんな状態でしたが、夫はようやく仕事が決まってからは一生懸命働き、給料も増えたので、予定よりも借金は早く返済でき、貯金もできるようになりました。
だけど、どうしても夫への不信感はぬぐえず、私は子供が大きくなったら離婚したいとはっきり思うようになっていました。

その反面どうしても長男に兄弟を作ってあげたかった
もし離婚となった時、子供と2人っきりは寂しいのではないかと思ったこともありましたし、心の片隅にまだ、夫を信じたいという思い、子供のためにも幸せな家庭を築きたい、離婚は避けたい・・・いろいろな思いを抱えていました
こんな思いで子供を産むのは私の身勝手だったのでしょうか・・・

元夫はもうひとり子供が欲しいと言う私にとても喜んで、仕事も家事もとても頑張ってくれました。
そして待望の次男が誕生。

夫とも「将来はマイホームを持とうね。」などと将来のことも話すようになり、すこしづつ元夫への不信感もうすらぎ始めて、おだやかな生活が続くかのようでした。
でも、このころ夫はすでに2度目の借金をし始めていたのです
  
二度目の借金発覚
次男が3歳になった頃、夫宛に頻繁に「友達です」と電話がかかるようになりました
借金の返済も当初の予定よりも早く返し終わって、夫に「もう終わったから安心してね」と伝えて数ヵ月後のことでした。
 
「!!借金してる」ピンと来ました
前の借金の時と同じです
家族に知られないように、友人を装って手紙や、電話がかかってくるのです
最初は携帯にかかっていたようですが、夫が知らん顔をしたために自宅にかかってきたのでした

夫に問い詰めても「知らん!」を繰り返すばかりです

でも、悪いことは重なるもので、その頃、会社の人員削減で、夫はリストラされました
「すぐに就職をする」の言葉とはうらはらに毎日、寝てばかりです
何度も「働いて」とお願いをして、ようやく仕事が決まったと、毎朝出かけるようになり、1ヵ月後の給料日・・・銀行口座にお金が振り込まれません

会社に聞いてみる。と逃げつづけて1週間、私も耐え切れず、夫を問い詰めました
そしてようやく白状したのです
実は仕事なんて決まっていませんでした
私が仕事してと追い詰めるから仕方なく仕事に行くフリをしたと言うのです。
同時にまたもや250万円の借金を作っていたことも白状しました

このとき、私は「これ以上夫の借金のために苦労はできない!どうせ私が働くのなら子供のためだけに働くほうがマシ」
その気持ちしかありませんでした
そう、選択肢はもう一つだけ・・・「離婚」への道でした

この日から離婚が成立するまでの2ヶ月間、夫とのバトルが始まりました
    
離婚に向けて    
夫はよっぽどお金に困っていたと見えて、私のカードでまたもやキャッシングをしていました
それでも足りなかったらしく、
「通帳はどこや!」
「はい。どうぞ」
(通帳を見て)「貯金、ないんか・・・」
「ないよ、給料も入ってこないし。」
 
実は。。。

夫宛の妙な電話がかかってきた次の日、私は休暇を取って銀行で定期を解約し、郵便局へ行って、子供の学資保険や、夫名義の養老保険も解約、車を売り払い、すべてを現金化し、私名義の口座にすべて移すと、実家へ預けたのです。

夫に見せたのは生活費の口座と、私の給与振込みの通帳だけ。
「前に貯金がだいぶ貯まったって言ってたやろ!」
「頑張って仕事できるように安心させる為に嘘ついてた」
夫はあっさりと信じたみたいです^^;

「車売った金はどうした?」
「あれは私名義のローンになってたから売ったお金でローンを返した」
本当は繰上げ返済していたので嘘なんです^^;
夫はまた私が何とかしてくれると期待をしていたようです。
でも私はもう夫のために一銭たりとも出す気ありません

そして、長男に私の気持ちを打ち明けたのです
長男への告白 
長男は当時小学1年生
黙って、離婚して、急にお父さんがいなくなるよりも、ちゃんと話してあげたほうがいいと思いました
 
「お母さんね、お父さんと喧嘩して、もう仲直りできなくなったから別々に暮らすことにしようと思う。ごめん・・・」
「なんで?いやや!みんな一緒がいい!何でなん?」
長男の顔が引きつっています。

「ごめん。お母さん、違うお家に引っ越すよ。一緒に来てくれる?」
泣かないでいようと思ったのに私は初めて子供の前で泣いてしまいました。

「・・・分かった。僕は絶対お母さんと暮らしたい!○○(弟)も一緒やろ?」
「お母さんはそうしたいよ。でもね、お父さんがまたお仕事するようになったら、おもちゃとか買ってくれるかも知れへん。でもお母さんは買ってあげられないかも知れへんのよ。」
「おもちゃいらない。どんなに貧乏でもいいから、お母さん連れってって!○○の面倒もちゃんと見るし、お手伝いもするから!」

2人でいっぱい泣きました
でも、長男と約束したんです。「お母さん、明日からは泣かないよ。」

数日後、夫の借金を知った直後に申し込んだ市営住宅の「仮当選」の通知が届きました
離婚の準備は整いました
後は夫に切り出すだけです
   
離婚成立   
夫は借金のこともほったらかし、仕事も決まらず、相変わらずでした。
私はついに離婚を切り出しました。
 
感情的になっては話がまとまらない。と夫の母と、義兄夫婦も来てくれました。
「こいつがオレをかまってくれないから借金した。離婚したいのはこっちの方や!子供も絶対に渡さない」
 
何を言っても、夫の味方をするものはいませんでした。
私には、夫が子供のように駄々をこねているだけだと分かっていましたから、「では、子供たちをよろしくお願いしますね。」とわざと言ってやりました。夫が子供達をまともに育てられるとは到底思えませんでしたから。
 
思ったとおり、夫は「オレには育てる自信がないよ。」と離婚届にサインしました。
義兄夫婦が、仕事を休んで、離婚届を出す私に付き添ってくれました。
 
義母にも、義兄夫婦にも、私は本当によく可愛がってもらいました。
この人たちとまで縁が切れてしまうことがとても悲しかった。
つながっていたかったけど、夫の身内です。
今後、元夫に私の近況が知られてしまうかもしれません。
私はきっぱりと元夫と縁を切りたかったんです。
切らないといけないと思いました。
 
将来、子供たちは会いたがるかもしれない。
そのときはしょうがないけど、お金の無心をしてきたり、子供たちに迷惑を掛ける父親なのかもしれない。
だから遠ざけたかった。
 
借金だらけ、仕事もない、だから、慰謝料、養育費の話もなし。
もらえるかどうかも分からない養育費でつながっていたくなかった。
唯一の財産、家財道具はすべて私がもらうことになりました。
 
届を出してから、私の父が夫に会いに来ました。
 
「将来、胸を張って、父と名乗れる人になってください。」
父はそれしか言いませんでした。きっと殴ってやりたいくらい悔しかったと思います。
でも父は自分が帰った後、まだ一つ屋根の下にいる私に害があってはいけない、と言いたい事も我慢したのだと思います。
夫は土下座をしていました。
 
顔を合わせるのが嫌だという私に対して、夫は毎晩、私に謝罪のメールを送って来ていました。
でも、私にはよりを戻す気持ちは少しも無かったんです。
もう何を言われても無理でした。
 
1週間後、私たちの引越しの前日、夫は泣きながら「もう一度考えなおしてくれないか。」と。
よく朝、私たちが出て行く前に、夫は出かけていきました。私の両親と顔を合わせにくかったのでしょう。
何も分かっていない次男は無邪気に夫に手を振っていました。
長男は・・・夫を見送りはしませんでした。
のちに長男が言っていました。
「お父さんは、優しかったけど、ちゃんとお仕事を頑張って、お母さんを泣かせたりしないでほしかってん。だから、別れるなら、もうお父さんなんていいや、って思った。」
 
こうして私たち親子の新しい生活が始まりました。

<一番上に戻る>

    


Copyright (C) since2004 yarikuri All Right Reserved